学会と訣別し大御本尊の功徳に浴す

斉藤和男さんの場合

 斉藤さんは、19歳の時、創価学会を通じて日蓮正宗に入信し、家族と共に熱心に学会活動に励んでいました。聖教新聞の配達を26年間務め、自宅も拠点として提供し、ご主人が栃木市の副本部長、奥さんが支部の副婦人部長を務めていました。

 創価学会が宗門に反逆した平成3年当時は「学会は絶対」と信じていて、地元の寺院に幾度も怒鳴り込み、さらには学会葬の導師を17回も行なっていました。
  しかし、池田大作の傲慢な振舞いを目の当たりにして、学会に嫌気がさし、活動から距離をおくようになりました。

 そのような中、未だ創価学会で活動をしている奥さんとは諍いが絶えず、家の中が殺伐となり、さらには、借金の保証人になったことから経営していた鉄工所を手放す結果になり、そこに追い打ちをかけるように、同居の長男が体調を崩し、引きこもりとなって、家から一歩も出れなくなったしまったのです。

 このように経済的にも苦しく、さまざまな行き詰まりが生じた中、見ず知らずの日蓮正宗の信徒である、妙観講の2人が折伏にたずねていったのです。その内の一人、田山さんは創価学会を脱会した人でした。
  斉藤さんは、創価学会からは離れていたものの、創価学会で宣伝していたことを鵜呑みにし、さんざん宗門に対する暴言を吐いていきました。
  その斉藤さんに対し、邪宗教と成り果てた創価学会の誤りを資料を元に話し、さらに田山さんが創価学会を辞めた経緯、それによって得られた功徳の数々を涙ながらに語る姿に、斉藤さんの心は大きく動き、日蓮正宗に帰伏することを決意したのです。

 さてこのようにして日蓮正宗に帰伏した斉藤さんですが、創価学会時代に染め込んでしまった御宗門への不信感が拭えず、田山さんが家庭指導に来ても話しを素直に聴くことができませんでした。  そのような中、支部総会・総登山に参加するため、20数年ぶりに登山をし、御開扉を受けた斉藤さんは、不思議なことに、それまでの心のわだかまりがスーッと消えて、素直な気持ちになれ「これまで自分が学会で犯してきた謗法の罪を消すため、学会員の折伏に立ち上がろう」と心底決意することができたのです。

 すると功徳は厳然を顕われました。下山した夜のことです、それまで何10年も全く曲がらなかった膝が普通に曲がって正座ができたのです。その後、斉藤さんは決意したとおり、毎日2時間の唱題をして、知っているかぎりの学会委員全員に対し、訪問と手紙で折伏をしていったところ、ついに奥さんが脱会して帰伏、その後子供さんも入信することが叶いました。

 その直後のことです、長年引きこもっていた長男が自分で仕事を探してきて、元気に働き出したのです。本当に不思議な体験です。こうして、家庭にも平和が蘇り、学会時代には考えられない幸せをかみしめていたのですが、その後、さらに罪業の深さと、御本尊様の絶対のお力を実感する出来事が起こってきたのです。

 斉藤さんの奥さんが、仕事帰りに原付バイクを運転中、道路でうずくまっていた90歳のおばあさんを跳ねてしまったのです。おばあさんは、命には別状がなかったものの、全身を強く打ち、三箇処も骨折するという重体でした。
  当初、警察は斉藤さん側の過失と決めつけていましたが、目撃者が抗議をしてくれたおかげで、事故は不起訴処分になりました。 しかし、自賠償以外保険に入っていなかったため、保険会社からは「最低でも1千万円の賠償金の自己負担は免れない」と言われました。

 もはや御本尊様に助けていただくしかありません。毎日、2時間、3時間と唱題していきました。そうしたところ、相手が後期高齢者ということで、高齢者の医療システムが使えるということで、賠償金はゼロになりました。
  その後も、息子が1トンの荷物の下敷きになり、あやうく命を落とすところを助かったり、私が学会時代に工場の機械に中指を取られてつぶしてしまい、一生動かないと言われた指が普通に動いたりと、考えられない功徳を次々といただいたのです。

 こうして斉藤さんは学会時代には味わったことのなかった功徳に浴した人生を家族で享受でき、法統相続もできつつあります。斉藤さんは「創価学会が消えてなくなるまで生きて生きて、最後の最後まで精いっぱい折伏をして今生の思いでにしていきたい」と強く決意を語っています。