30代後半の転職、スキルが活かせるグローバル企業へ就職が叶う

―石岡祐介さんの場合

 石岡さんは、大学在学中だった平成十四年に、日蓮正宗に入信しました。
やがて大学を卒業し、社会人として働くようになりましたが、それ以来、行く先々で冷遇され、大変な苦労をすることとなりました。
 まず、新卒で就職した会社では、過重な労働を強いられた上、ろくに休みも与えられず、給料も低く、耐えきれずに三年で退職してしまいました。その後、ある大手輸送機器メーカーに派遣社員として勤務しましたが、今度は自己嫌悪になるくらいに仕事ができず、上司から叱責される事の連続で悩みました。
 そのような派遣社員の時代を経て、平成十九年、念願かなって、外資系の自動車関連の会社に正社員として就職することができました。
 ところが、喜んだのも束の間、今度はなぜか入社一年少々で、アメリカへの赴任を命じられてしまったのです。やむを得ず、妻と二人の子供を残してアメリカに渡り、一日も早く帰国できることを願って働きました。そして二年後、ようやく帰国できたものの、日本での勤務先として提示されたのは、自宅から遠く離れた土地でした。
 この経緯と家庭の事情に鑑み、石岡さんは、意を決して転職することにしました。しかし、その当時、東日本大震災によって日本経済は不況のどん底にありました。その上、石岡さんは、年齢もすでに三十代半ばに差し掛かっており、加えて、派遣社員だった時期も含めて九回という転職歴があったため、本当に厳しい転職活動となりましたが、諦めることなく、日蓮正宗の御本尊に対し、願いの成就を真剣に祈っていきました。

  すると、四ヶ月が経過したある日、願ってもない求人が舞い込んできました。
その会社は、ガラス製造の世界的企業で、ニューヨーク証券取引場にも上場している堅実なメーカーで、しかも、日本での勤務地が、自宅から車で三十分という至近距離にあったのです。
すぐに応募したところ、大変な競争の中、書類選考、一次選考と通過し、三回にわたる面接と最終選考を経て、無事、採用となりました。
 その後、雇用条件が提示されたところ、基本給は前職のほぼ二倍、土日祝日も休み、という好条件でした。さらに、入社支度金まで支給されました。 石岡さんは長く続いた不遇な時代を、信仰によって切り開くことができたのです。


※本人発表の場面 準備中



思えば、社会人になって以来、行く先々で冷遇されて、重労働を強いられ、給料をカットされ、時には解雇され、イジメにあい、海外にも飛ばされました。
 しかし、その状況を変えようと信仰を貫いたことで、最後には、生きがいをもって働ける職場を獲得できたのです。