水頭症、点頭てんかん、結節…人智を超えて延命した我が子

― 高野充子さんの場合

 高野さんの長男・賀一君は、平成十五年一月に二十八歳で亡くなりました。
  若すぎる死と思われるかもしれませんが、賀一君にとって、それは最高の人生だったのです。
  高野さん夫妻は、結婚十年にして待望の長男・賀一君を授かりました。
  ところが、生後六ヶ月を過ぎても一向に首がすわらず、物をつかむこともできません。
  大学病院で検査を受け、わかった病名は、重度の水痘症と点頭てんかんでした。
  それは、脳が次第に萎縮していき、その縮んだ空洞に水が溜まって脳を圧迫し、てんかんの発作を繰り返すという、恐ろしい病気です。
  その後、さらに、結節性硬化症といって、小さな腫瘍が内臓の中から皮膚の表面まで、全身に広がっていく病気も持っていることが判明しました。

  これらの病気は、原因不明で、現代の医学では治すことができません。大学病院の診断では、「この子は五歳くらいまで立つことも歩くこともできません。知的障害によって、普通の子供と同じには育ちません。また、残念ながら、せいぜい七歳くらいまでしか生きられないでしょう」との絶望的な宣告を受けてしまいました。
  悲嘆にくれた高野さん御夫妻は、その時、ワラにもすがる想いで日蓮正宗に入信したのです。それは、賀一君が一歳の時でした。
  それからの高野さんは、必ず治してみせる、という一念で仏道修行に励んでいきました。あらゆる会合に参加して日蓮正宗の教えを学ぶとともに、毎日、二時間、三時間、四時間とお題目を唱えていきました。やがて、賀一君を連れて布教に歩くようになりましたが、行く先々で、「その子供を治してから出直して来い」と罵られることも度々でした。
  そのような中、賀一君が突如として成長しはじめ、「歩けるようになるのは五歳くらい」という医者の診断を覆して、一歳八ヶ月の時に、自力で歩きだしたのです。
  その後、無理と言われていた小学校に入学。低学年の頃は、健常の子供よりも計算が速くて教師を驚かせたほどで、どんどん知恵もついていきました。
  そして、小学校低学年になった時には、萎縮していた能が正常に戻る、という考えられない実証が現われ、医者からは「現代の奇跡だ」とまで言われたのです。
  また、結節性硬化症によって、賀一君の体には、いたるところに小さな腫瘍があり、それは眼球の中にもできていました。ところが、どうこう瞳孔だけは避けてできたため、辛うじて失明を免れることができました。

  こうして、賀一君は、「七歳くらいまでしか生きられない」と言われた限界を越えて延命し、成長していきました。  その間、脳や腎臓、血管等にできた腫瘍を取り除くための手術が、繰り返し行なわれましたが、その都度に手術は大成功をおさめ、順調に回復することができました。
  やがて、病気と闘いながらも学校を卒業すると、市から紹介された仕事に就いて、働くようになりました。その間、駆け足ではありましたが、賀一君はかけがえのない人生の喜びをひと通り味わい、また世間の家族以上に、家族とのきずなを深く結び、貴重な、有り難い日々を過ごすことができたのです。
  こうして、奇跡的に寿命を延ばしてきた賀一君でしたが、たび重なる手術によって、二十代後半にさしかかった頃には、すでに体は限界を越え、これ以上の治療は難しい段階になっていきました。  そして平成十四年春より、次第に衰弱し始めた賀一君は、五月、十月と総本山大石寺に参詣して大御本尊に御報恩謝徳申し上げ、明くる年の一月四日、家族の見守る中、安らかに息を引き取って、二十八歳の生涯を閉じたのです。
  その臨終の姿について、高野さんは、このように語っています。

  ※本人発表の場面(動画準備中)

この姿に、高野さんは、賀一君が、来世では本当に健康な身心を得て生まれてくることを確信し、心から安堵することができました。